路傍の晶
陶芸教室 HoloHolo陶房 渡辺さん
初めてろくろを回したときのことをいまも鮮明に憶えている。
「大学生の頃でした。旅先で陶芸を体験させてくれる場所をたまたま見つけて、はじめは友人とああだこうだ喋りながら回していたんですが、ふと気付くと僕も友人も無言になっていた。綺麗に挽けてくれと、いつの間にか目の前の土に神経を集中させていたんです。その心地よい緊張感、そして形になりそうでならない歯がゆさに自然と惹かれました」
八ヶ岳で得たこの経験を機に、渡辺さんは陶芸の魅力に取り込まれていく。時間を見つけては陶器の産地へ赴き、土いじりに励んだ。卒業して会社勤めをするようになってからも、手元に道具を揃え、自宅で陶芸に勤しんだ。
「やりたいことを我慢してはいかんと、あるとき思ったんです」葛藤した当時を振り返る。
「子どもの成長、また子どもと自分との関わり方について、毎日のように考えていました。要するに、自分が娘に対してどうありたいか。たとえ金回りが悪くなったとしても、自分らしく生きているほうがいい。娘が成長して、いずれ会話さえしなくなるときが来るかもしれんけど、そんなときでも父親の姿だけは見せられる。そのときに、眉間にシワを寄せてサラリーマンをやっている姿よりも、自ら好きだといえる自分を娘に見せたいと思った。この道を選んだ理由はそれに尽きます」
あるべき姿を見定めた渡辺さんは、会社を辞し、愛知県は瀬戸市にある窯業高校の専攻科に進んだ。2年間で陶芸に関するすべてを学び、卒業間もない2005年7月、「HoloHolo陶房」を開いたのだった。
それにしても、いったい陶芸の何がそこまでひとをかきたてるのだろう。日々、土と向き合う彼の言葉に耳を傾けたい。
「粘土は“当たり”がやわらかいですよね。押せば押した分だけの形になるし、やわらかく触ればやわらかさが、かたく触ればかたさがそのまま表れる。自分の思うがままの姿になり、つまりは作品に自分が出るワケです。ろくろを回すときには一定の精神力も必要。心地よい緊張感とともに、土との対話は楽しくて仕方がない。時間を忘れます」
およそ30名の生徒を指南する傍ら、教室が休みの日には自身の作品づくりに余念がない。さらに今後について、「遠い将来かもしれないけれど、自分の手で窯をつくりたいと思っています。いえ、必ずつくります」と彼は語った。
土と向き合い形づくるという行為は、己れと向き合い、思い描く自分に近づこうとすることに通じるのかもしれない。その道のりはけっして平坦ではなく、ときには急な勾配に苦しむこともあろう。それでも道は目の前に延びている。たとえ立ち止まることがあっても、歩むことを放棄しないかぎりどこまででも進んでいける。
「陶芸家でありたい」と、渡辺さんは言った。それが道の途上で見つけた、父親としての彼のこたえだった。
取材・文◎隈元大吾
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